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8月25日神様のみこころを知るために①


この記事はイエス様が十字架に掛かる直前の説教です。もう、見えなくなる。今までのように会話したり、質問したり、食事をすることはなくなるでしょう。十字架で弟子たちはバラバラになります。イエス様のとの関係も今までとは全く異なってきます。イエス様はそのことをすべてご存じで、この記事を説教されました。

ブドウの木と枝の関係は強いです。もし、木が枯れれば枝も死にます。木から水分・養分の補給があって、初めて枝は生きることが出来ます。イエス様と弟子たちの関係はそのような関係であると説きます。十字架・復活でイエス様は天に昇って見えなくなります。しかし、関係性はより強くなることをイエス様は説きます。そして、弟子たちはペンテコステ以後、イエス様と全く同じ道を歩みます。もしかすると目に見えていた時よりも、昇天後の方がより深くイエス様との関係が強くなっていきます。

実を結ぶとはみこころを知ることでもあります。そのための条件は①人がイエス様にとどまること ②イエス様がその人にとどまっておられることです。私たちは礼拝の中で、祈りの中で、みことばの中でイエス様にとどまることが出来ます。では、イエス様が私たちにとどまるとはどういうことでしょうか。①と②をつなぎ合わせるものは

「みことば」です。ヨハネの福音書1章1節には「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とあります

弟子たちはイエス様が見えなくなってから、旧約聖書を読むことによって、イエス様と出会い、また、自分たちが福音書を記すことによって、イエス様と出会います。それは、イエス様が目に見えていた時よりも、心とたましいに深い信仰のうなずきと、より近いイエス様のみこころを知っていくことになります。

 私たちもイエス様にとどまるために、また、イエス様が私たちにとどまってくださるために、「みことば」を大切にしたいと思います。

私たちがみことばに触れれば、触れるほど、イエス様がとどまります

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