5つのパターンのもし・・なら
2021年2月14日
ヨハネの手紙第Ⅰ 1 章 5-10 節
今日の箇所には5 つのもし…ならが出てきます。最初は 6 節の「もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら・・」です。これも、グノーシス主義と深いかかわりがあります。当時のグノーシス主義は心、たましいは聖いものである。だから、一度、きよめられたなら、どんなことをしても聖い 、 という思想がありました。自分たち の心、 たましいはきよめられているのだから、何をしてもかまわないと、不道徳を平気で承認している人々がいました。ヨハネは言います。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら・・、それは偽りであり、真理を行ってはいないとはっきりとグノーシス主義を一掃します。そして、次(2番目)は、クリスチャンに対して言います。神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、多くの失敗や欠けや弱さがあったとしても、イエス様の血によってきよめられていくと言います。
3番目のもし・・は。これもグノーシス主義に対する警戒です。たましいはきよいもの、きよいたましいをもっているのなら、どんな状況にあっても、罪はない、という思想に対して、それは欺きであり、真理ではないと一掃します。
4番目のもしは、私たちが罪を自覚し、自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪はゆるされ、きよめられるとヨハネは主張します。
5番目のもし・・もグノーシス主義にたいするものです。罪を犯したことがないと主張するなら、神を偽りものとすることになり、聖書のことばは私たちの内側にはありませんと一掃します。グノーシス主義への警戒とクリスチャンの恵みがミルフィーユのように交互に重なっているのが、 6-10 節です。美味しそうではありませんね。
私たちは「きよめの信仰」を教わっています。もちろん、グノーシス主義者 ではありません。しかし、いつの間にか、 1つ目のもし・・や 3つ目のもし・・が私たちの心にも巣を作っていることがあります。
救われたのは数十年前の話。今はクリスチャンとして教会に通い、奉仕もし、何らかの責任もある。 ゆえに、闇の中を歩いていても別に何の変化もないし、罪も解決されているから、大丈夫。と安心して、自分の信仰の状態や、心の動きに注意を払わないならば、それは少し危険な状態かもしれません。 また 、神様を小さく捉えてしまっている可能性があります。
例えば、日本の看護師は一度国家試験に合格すれば、生涯看護師として認められます。しかし、アメリカでは年 30 時間研修を受けて、 2年毎に国家試験を受けなおします。アメリカと日本では看護師の地位も収入も桁外れに違いますが・・皆さんが患者さんになって、 15 年、仕事をしていない、何の勉強もしていない私と、看護師の仕事をしていなくても、 30 時間の研修を受け、 2 年毎の国家試験を受け続けているアメリカの看護師とどちらに診ていただきたいですか 。
これは、何の点滴かなとぼんやりとした目で 点滴を眺めている私と、見ただけで、すぐになんの薬かが分かる看護師と・・一目瞭然ですね。
つまり、更新しなければ、国家試験は意味がないものです。
海無し県で育った私は海が大好きです。夜勤明けで、隣の茨城県にある、大洗の海によく行きました。広くて、水の量が豊かで、神様の恵みを目で見ることが出来ます。延々と広がっている広大さは、「十分すぎるほど、十分に心を満たしてくれます」
同様に、希望のない罪人だった 私が 、十字架で死なれた救い主を見上げた時、その背後に神様の愛と恵みの限りない 広がりを見ることが出来ます。「十分すぎるほど十分なものをやっと発見した」 との 安心感を毎日、 更新したいと思います。十字架の恵み は 毎日更新しても感謝は足りません。
アフリカの奴 隷貿易に携わり、やがて回心し有名な牧師となったジョン・ニュートンは幼い頃、両親が亡くなります。そして、彼も、アフリカ人の女性に奴隷として売られていきます。彼女の食卓から落ちる、パン切れを集めて食べ、夜は野生のヤマイモを掘って飢えをしのいでいました。また、一着しかない服を海水で洗って着ていました。恐しい孤独と飢えから、逃げ出します。やがて、心がボロボロになり、 奴隷貿易に携わり、人を人と思わない残酷な人間に成長します。しかし、神様はニュートンのお母さんの祈りを覚えておられました。嵐の中、死を覚悟したニュート ンは船の上で膝まずいて、私のたましいを憐れんでくださいと神様に祈り求めます。そして、心に光がさして、罪を悔い改めて、伝道者になります。素晴らしい、讃美歌をいくつも書きました。その中の一曲が「アメイジンググレイス」です。
ジョン・ニュートンは自分でこんな墓碑銘を書き、そこに眠っています。「ジョン・ニュートンのたましいに捧ぐ かつては放蕩し、御名を冒瀆し、アフリカの奴隷であった者 しかし新しくされ、きよくされ、赦され、かつては自ら破壊しようとした福音を語るために召された者」と。
私たちも救いの恵みを更新しましょう。イエス様の前を歩く時に様々な心の状態に気がつきます。それをそのままにしないで、思い切って告白しましょう。神様に。神様はそのことを 赦してくださり、きよめてくださいます。
私たちはもっと、もっと広い神様の世界に導かれていきます。
「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」
真実な神様に思い切っておゆだねして生きましょう。
広い信仰の世界に導かれていきます。
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