アブラハムの選択
2022年2月20日 メッセージ要約
創世記13章5~18節 *1
エジプトで自分の命を守るためにアブラムは妻のサライを妹と偽ります。信仰の父と言われたアブラムですが、人がみな持っている弱さをアブラムも持っていました。私たちは人間性を理解しないと、ただ、人を裁く信仰になってしまいます。警戒しましょう。偽ったアブラムですが、神様はアブラムを祝福し多くの財産を得ます。神様の憐れみです。弱さと戦いながらも神様に祝福されて、アブラムの持ち物は増えていきました。そしてロトの持ち物も同様に増えていきます。ここでも人の弱さが浮き彫りになります。それは、派閥争いです。アブラムの家畜の牧者とロトの家畜の牧者が争います。
どうして争いが起こったのでしょうか?それは、6節。土地が狭かったとあります。狭い土地では牧草や羊の居場所等々沢山の問題が起こってきます。アブラムは提案します。「それぞれ、離れて暮らそう」と。
エジプトで気苦労が多かったアブラムはこんなことを考えたのではないでしょうか?「ロトはきっと、このカナンの地を選ぶのではないか?そうすれば、自分はヨルダンの低地に行かなければならない。あの罪深い人たちがいるところへ行くのは嫌だな。さて、どうしたものか?そうだ、ロトに先に決めてもらおう。」と。10節。ところがロトはアブラムに遠慮することなく、潤っていたヨルダンの低地を選びます。皆さんならば、どちらを選びますか?コンビニがたくさんある明るい町。ポツンと一軒家のような寂しいところ。ポツンと一軒家はとても寂しいのですが、自然が豊かで星がきれいに見えます。一方、町は便利ですが、神様の声を聴きずらいです。
私たちは今、間違いなくヨルダンの低地に住んでいます。そこは、人の声、テレビの音、車の音があり静かな場所ではありません。創世記19章にロトの日常の様子が書かれています。やがて主はソドムとゴモラを滅ぼします。私たちの町はソドムとゴモラほど不品行ではありませんが・・・。しかし、日常の生活に追われ、仕事に追われ、テレビに追われ、インターネットに追われ、SNSに追われています。さらに、問題・課題・試練に追われています。神様のことを考える暇がありません。それでも信仰はかろうじて失っていませんが・・・
このような時、信仰にある特徴が出てきます。牧師あるいは、皆さんもこれに警戒する必要があります。
それは、霊的な自動運転です。これは、3月号の教報で田辺寿雄先生が書かれています。
ある本を読んでいて、「霊的に自動運転になっていないでしょうか?」という文章に出会いました。自動運転とは人間が主体的に操作せずに車が勝手に動く機能です。「霊的自動運転とは」日々の祈りやキリストとの生きた交わりを持つことなく、信仰生活や教会の奉仕をしてしまっている状態のことです。そのような状態に慣れたまま礼拝や奉仕を続けていることが私たちの信仰生活にもありうるのではないでしょうか?礼拝が自動運転になっていないでしょうか?礼拝の祝福のために主体的に祈ったり、自分の心と身体を礼拝に備えることなしで、出席していないでしょうか?恵みや新しい変化を期待することもなく終わるのを待っているだけのような礼拝になっていないでしょうか?奉仕が自動運転になっていないでしょうか?説教、教会学校の奉仕、礼拝の司会、会計や会堂清掃、役員や幹事の仕事、委員会の奉仕などをこなしてはいても、そのために祈る事や神に仕える喜びを忘れてしまっていないでしょうか?経験を経ていろいろなことができるのは尊いことですが、祈らないで奉仕を続けていることには注意が必要です。・・・単なる同じことの繰り返しはだんだんと私たちの信仰を麻痺させ、思考停止した自動運転の信仰へと導きます。主体性をもって祈り考え、創意工夫して変えて行きましょう。教団も教会も牧師も信徒も、そんな一歩を踏み出せる春でありますように。・・
この文章は深く考えて思いめぐらす必要があります。私も考えさせられます。私たちは大変忙しいヨルダンの低地に住んでいます。やるべきことは出来るでしょう。しかし、そこに「いのちが失われていく可能性がある」ことを警戒すべきです。
アブラムは神様との生きた交わりを知っていました。ですから、ロトが低地を選んだことを心配したかもしれません。あるいは、逆にホッとしたかもしれません。
14節、ロトがアブラムから分かれて行った後に主はアブラムに語られます。主の声はロトには聞こえませんでした。私たちもあまりにも忙しく、日常の雑音、人の声、試練、イライラ等で神様の声が聴こえません。しかし、アブラムは神様の声を聴く場所を選択しました。
具体的には「おことば」です。この年教会に与えられたおことば、個人に与えられたおことば、をもう一度振り返りましょう。
さらに、2月のおことば、さらに20日の1週間のおことば、そして今日のおことば。私たちが祈り深く、おことばを基準として生活する時、私たちの信仰は生き生きとしたものに変わっていきます。そこに喜びがあり、主体的になり、試練に打ち勝つ秘訣があります。
聖書をそのまま読みましょう。神様の声が聴こえてきます。
*1 創世記 13章5~18節
13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。
13:7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。
13:13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。
13:14 ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
13:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。
Comentários