キリストの十字架の死
2023年4月2日 メッセージ要約
*1 マタイの福音書 27章45~50節
この主日、古川恵子牧師は宇都宮教会での礼拝のご用です。聖務を終えて無事に教会にお戻りになられるようにお祈りください。そのため私が主日礼拝のご用をさせていただきますがこのためにお祈りくださり心から感謝いたします。今日の主日はパームサンデー、すなわち棕櫚の主日です。イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入城された日です。そして今日から1週間が受難週でこの金曜日にはイエスが十字架上で身代わりの死を遂げられた受難日です。歴史家はその日は紀元30年4月7日金曜日であったと言っております。その日、人類の歴史の中で最も悲劇的な、暗黒の出来事が起こったのです。人間が人間を殺してもそれは悲しいことですが、人間が「神を十字架につけて殺した」のですからこんなひどい、悲しい出来事は歴史上起こったことはなかったのです。
午前9時頃、エルサレムの郊外のゴルゴダの丘で、ローマ軍によって、3本の十字架が立てられました。中央の十字架に、罪のない神の御子イエス・キリストが、両側の十字架には、それぞれ犯罪人がつけられました。6時間が経過した午後3時頃になると、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(46)という意味です。これは、イエスの十字架上の7つのことばの第4番目です。このことばは、最も理解するのが難しいことばですが、私たちはこのことばの事実をより深く知り主の十字架の苦しみを深く想い、そのご犠牲とご愛に応答して生きたいと思います。そこでこの朝は「イエスの十字架の死」と題してお話しいたします。
第一 自分の罪のためではなく
イエスのお苦しみは十字架に始まったのではありませんでした。ゲツセマネで夜に捕えられ、カヤパ、ピラト、ヘロデ、再びピラトと引き回され、どれほどの心身の疲労だっただろうかと心が痛みます。しかも、十字架にかけられるためにローマの兵卒に渡される直前に鞭打ちの刑を受けられました。ですから、イエスが、皮のむけた骨の見える肌に十字架の角材を背負って痛々しい姿でよろけながら総督官邸からゴルゴダの丘に向って歩かれたとき、人々はその姿を見て涙を流し泣き叫びました(ルカ23:28)。その憔悴しきったイエスが午前9時から十字架につけられ午後3時頃になって、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。これは十字架上で語られた七つのことばの第四言です。6時間近く十字架につけられていたその時のイエスのお苦しみというのはどれほどだったでしょうか。そのお苦しみは、とうていことばで表わすことはできません。手足を引き伸ばされて釘を打ちつけられ、全身の重みがかかっているので、激しい苦痛がともないます。釘が入っている、まわりの肉は腐り始めます。脳が充血して激しい頭痛が起ります。発熱のために喉は渇きます。体力が減退し、苦痛はいよいよ増して行きます。それにもまして、精神的・霊的苦痛が激しく襲いかかったのです。キケロは、イエスの十字架刑は「最も残虐な顔を避けたくなるような刑罰である。」と描写し、またユダヤの歴史家ヨセフォスは「最もみじめな死」と言っています。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」とは弟子たちに裏切られ、逃げられ、ひどい侮辱を受け、死刑に処せられ、肉体的・精神的・霊的苦しみの中にあったイエスが、その上神に見捨てられて叫ばれたのですから、この叫びをどのように理解したらよいのかことばがありません。いずれにしてもこのことばからイエスは、文字通り神に見捨てられ、暗黒と孤独と苦悩を徹底して味わわれたのです。まさに地獄のようでした。
しかし、「どうして」なのでしょうか。はっきりしていることは、イエスはご自分の罪のために苦しまれたのではなく見捨てられたのでもないということです。イエスは全く無罪でした。イエスを裁いたピラトの判決は「さあ、あの人をおまえたちのところに連れて来る。そうすれば、私にはあの人に何の罪も見出せないことが、おまえたちに
分かるだろう。」(ヨハネ19:4)。「この人は死に値することを何もしていない」(ルカ23:15)。「ピラトは彼らに三度目に言った。『この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。』」。(ルカ23:22)。それでも祭司長、律法学者たち、群衆がイエスを十字架に付けるように大声で要求し続けたので、ついにピラトは、「この人の血については私に責任がない。おまえたちで始末するがよい。」(マタイ27:24)とさじを投げ出したのです。
十字架上の犯罪人さえも、「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」(ルカ23:41)とイエスの無罪を証言しました。へブル人への手紙4章15節でも、イエスが罪を犯されなかたことを述べています。イエスが十字架上で苦しまれ神に見捨てられたのは、ご自分の罪のためではありませんでした。そのイエスが犯罪人として呪いの十字架につけられ、処刑されたのです。
第二 人類の罪のため
では、なぜイエスは十字架につけられ見捨てられたのでしょうか。それは人類の罪のため、私やあなたの罪のためでした。そのためイエスが私たちの代わりに罪とされ、私たちに代わって罪の刑罰、死を受けられて、神に見捨てられることになったのです。
罪とは、神の「律法に違反することです。」(ヨハネ第一3:4)です。神に反逆することで、これが罪の基本的な性格です。神のことばを守らないこと、背くこと、これが罪です。別な言い方をすると、罪とは神を捨てるということになります。そのような者は、神に捨てられるのです。なぜなら、神は聖いお方であり、不義を憎み、嫌われるお方です。そして正しいお方ですから罪に対して、そのまま放置されることはありません。必ず罪に対して報われるのです。それは、神に見捨てられることです。そして、人間はみな神に見捨てられるように定められているのです。なぜなら、「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10)からです。その結果は永遠の滅びであり苦しみです。それで聖書は「罪の報酬は死です。」(ローマ6:23)と言っていて、死は神によって見捨てられることです。
罪のない主が十字架にかかって下さったのは、人間の罪のゆえに、神に見捨てられないために道を開いてくださるためだったのです。そのため人類の罪をご自分の罪として背負われて、その恐るべき結果、罪の呪いを受け入れられたのです。主は人類の罪のために罪人の代わりとなって、罪を背負って、その罪の払うべき代価 ― 死をささげられ
たのです。全人類の罪を、私たちの不義のすべてを背負われたので、神の御顔が、一時主から隠されたのです。これが主の代償的死 ― 身代りの死なのです。このことを教えているのがコリント人への手紙第Ⅱ5章21節です。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」イエスは、十字架の上で私たちに代わって罪とされたのです。罪を知らなかった方が、私たちのために罪とされ、神に見捨てられたのです。つまり、人類の罪の救いのためでした。
第三 見捨てられなかった私たち
十字架上のたとえようもない肉体的な苦しみが、イエスの苦しみの全部ではなかったのです。イエスは、あなたの罪、私の罪、そして全世界の罪をその身に負われたのです。その時、イエスは、世界にかつてなかった最大の罪人として十字架につけられました。この時、イエスは、あわれみを求めたり、助けを求める叫び声をあげることなく、その肉体的な苦しみには耐えることができました。しかし、霊的な苦しみはこれとは全く別のもので、特にこのようなとき、神に愛された者、不可分な愛の交わりにあった神から捨てられたということは想像を絶する苦しみでした。そのピークの時、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(46)と言う意味です。このとき、聖書ではイエスの「どうして」の問いに神がお答えになったかどうか何も書いてありません。
この一句について神学校の小島伊助先生からお聞きしたことです。「これは苦しみの中からのお父様に対するおたずねの言葉である事を思う。聖書には神がお答えになったお言葉はないが、ご返事があったと推測させていただくならば、『ただ一人が捨てられて、全人類が救われ得る程の資格ある者はお前のほかにない!』」と。捨てられる資格があるので捨てられたのであると。罪なき聖い神の御子が捨てられてくださることによって、捨てられて当然の私たちが見捨てられないためだったのです。
私が神学校の2年生のとき、同じ教会で1年間ご一緒にご奉仕した、姉妹のお証しです。姉妹は上野の高級化粧品問屋の独り娘でした。まだ物心つかなかったとき、母親は彼女と父親を捨てて蒸発しました。父と従業員の人々が母親は死んだと言って口裏合わせをして嘘をつき続け、こわれものを扱うように育てられてきた彼女でした。やが
て事実を知り、よく幼い子どもを捨てて他の男性と結婚したものだと母親に対する憎しみ、また偽った父親と従業員に対する激しい人間不信に陥ったのです。
短大に入学してとても孤独な暗い生活を送っていましたが、あるとき、教会に導かれました。メッセージを聞いているうちに自分の罪が分かり、そのために身代りの十字架にかかってくださったキリストの愛を知り、救われ、キリストの十字架とそこに現された愛を土台にした、生活が始まりました。しかし、彼女の心の奥深くには、生みの母をどうしても赦せないという思いがあり、しばらく葛藤が続きました。しかし、捨てられることのないキリストが父なる神から捨てられてくださることにより、捨てられて当然の自分が捨てられない者とされた十字架の限りない恵みが分かりました。そして母親に捨てられたけれども本当の魂の父なる神に捨てられることのない者とされたことが、どんなに素晴らしいことであるかを知りました。ある早天祈祷会のとき、「主よ、わたしは今、母親を赦します。」と涙を流して心から口にして祈られたのです。やがって、召され神学校で学び、今は牧師夫人として良き働きをなさっています。
私たちは父なる神に捨てられ身代わりとなって十字架上で死んでくださったイエスによって救われました。罪を赦され神の子とされ永遠の命を与えられ永遠の御国の世継ぎとされました。そしてもう決して捨てられることのない人生に入れられたのです(へブル13:5~6)。また、罪が愛する主にこのようなご苦痛をもたらすことを覚え、そのご犠牲と愛に答え聖い生活(ペテロ第一1:15~16)を目指しましょう。
モラヴィア派の創立者ツィンツェンドルフは世界宣教に大きな足跡を残した人物です。彼はジョン・ウエスレーに非常に大きな感化を与えました。そして、その影響は私たちにまで及んでいるのです。彼は貴族でしたが青年の頃、ある時旅をしていてドイツのジュセルドフ市にやってきました。彼はそこで美術館に入り、ふと、ステンバーグのキリストの十字架に目をとめました。絵のすばらしさに、すっかり心を奪われて、気が付いたときには、あたりは、うすぐらくなっていました。しかし、彼にとっては永遠のいのちの夜明けでした。彼はそこでキリストの十字架の救いに与り、クリスチャンになりました。その絵の下には「わたしは、すべて、これを、あなたのためにしました。あなたは、わたしのために、なにをしますか?」と記されていました。ツィンツェンドルフはこのキリストのことばに応えて、自分の持っているものを全てささげて、キリストの福音(愛)を伝える人生を送りました。
*1 マタイの福音書27章45~50節
27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。
27:48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう」と言った。
27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。
27:54 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。
27:55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
27:56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
27:57 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
27:58 この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
27:59 ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
27:60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
27:61 そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。
27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
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