神さまと人のすれ違い
2021年9月5日 メッセージ要約
ヨナ書 1章1-3節 *1
ヨナの父、アミタイは「真理」という意味です。ヨナは「鳩」という意味です。つまり、「真理」から平和の「鳩」が生まれました。ヨナは平和の象徴です?
ヨナは北イスラエルの預言者として活躍しました。第Ⅱ列王記14:25にそのことが記されています。ヨナの預言の通りに北イスラエルの王ヤロブアム2世は領土を回復していきます。この時代、イスラエルは強国アッシリヤに苦しめられていました。そのアッシリヤの首都がニネべです。新約聖書ではイエス様もヨナについて語っておられます。マタイ12:39~41、16:4ルカ11:29,30,32です。
ヨナの功績は素晴らしいものでした。
そのヨナが神様に命じられたことは憎い敵のニネべへの宣教です。イスラエルの人々への預言ではなく、敵国アッシリヤの首都ニネべの宣教です。ヨナは、イスラエルの人々を苦しめるニネべへ行くことが恐ろしかったのではありません。3章の10節~4章の2節をご覧ください。その理由が記されています。ヨナは何が嫌だったのでしょうか?福音に耳を傾けない人々のところに行っても、福音の効果がないことが嫌だったのではありません。ヨナは知っていました。自分がニネべに行って神様の予言をすれば、ニネべの人々が救われて、回心することを・・・それが嫌だったのです。牧師としては、とても羨ましい話です。
そう考えてみますと、ヨナの信仰は素晴らしいものです。ニネべで予言しても一人も神様を信じないのではないか、普通はそれが苦痛なのです。しかし、ヨナは自分の予言によって、ニネべの人は信じる、そして、ニネべの人々が良いになることが嫌でした。
皆さんの中で、皆さんをいつも苦しめる意地悪な人、あるいは好きではない人がいると思います。その人がイエス様を信じて、良い人になることを受け入れられない。その気持ちはなんとなく理解できます。
その結果、神様のみ思いとは逆の西に向かいます。そこへタルシシュ行きの船が丁度来て、船に乗り込みます。
ここが神様とヨナのすれ違いです。このようなすれ違いは私たちにも多々あります。神様と人のすれ違いについて考えてみましょう。
究極の神様と人のすれ違い
創世記3章にあります。善悪を知る知識の木の実。食べてはいけないと神様に命じられていた実です。それをアダムとエバは口にします。ヨナとは逆ですね。してはいけないことをしてしまうアダムとエバ。そして、神様が行きなさいというのに、行かないヨナ。
このすれ違いの正体は何でしょうか?
全ての人に与えられている「自由意志」です。
その自由意志が神様の御思いと方向性が異なるとき、それは罪になります。
神様はどうしてもニネべの人々を助けたい、ヨナは敵が救われることはイスラエルの人々に申し訳がないと思います。
それは、たとえ、神様のみこころであっても従えない。
「すれ違い」これが、「罪」です。
しかし、神様はすぐにはヨナを断罪されません。船に乗ったところまではヨナを責めません。ヨナは逃げきったと思ったでしょう。
同様に神様は創世記3章で罪を犯したアダムとエバに皮の衣を作って彼らに着せられます。3:21
神様は人とのすれ違いを受け止めてくださるお方です。
どうしても従うことが出来ない私たちの弱さを神様はご存知です。そして性急に断罪されることはありません。さらに神様は愛なるお方です。
自殺を考えてしまう若者にナイトdeライトのドラムの田中牧師が書いたメッセージが31ある本です。
「いいんだよ、昨日までのこと全部。」田中満矢 著
こんな一文があります。
何ができても できなくても 何を持っていても 失ってもあなたは愛する子。
あなたが元気でいてくれたら、それでいい。そう願ってしまうのが親心です。聖書にどうしようもない親不孝な息子が出てきます。その息子は家を飛び出し、好き勝手に生きて、ついにはお金も何もかも失い、人生のどん底まで落ちたとき、自分の罪に気づき、こう思いました。
「父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前にある罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください。』」
我が子っていうのは 資格ではなく事実です。
でも、罪という「こころの歪み」は自分がだれなのか分からなくさせます。
あなたは、良い行いだけを求められる「雇人」なんかじゃない。悪ければ解雇される「労働力」じゃない。
愛する子です。 いてくれるだけで、喜ばれているんです。
あなたが笑っていてくれるなら、すべてを捨てても惜しくない。
そんなふうに愛されている者らしく、今を歩んでいけますように。
もうひとつはナイトデライトの曲です。
春先の北海道で起こった悲しい出来事です。
2003年3月2日岡田幹男さんは9歳の女の子を児童センターに迎えに行き、
急な天候の悪化で運転が困難、ガソリンも少なくなるなか、思い切って車を出て倉庫に向かうが視界不良。
この子だけは守ると自分のジャンバーを娘の夏音ちゃんにかけ10時間以上抱き続け力尽きます。
この出来事を曲にしたのが「白彗」です。
聞いてみましょう。
ヨナ書の最初のメッセージとしては少し的外れのような感じがするかもしれません。しかし、ヨナ書には神様の愛が最初から、最後まで一貫して流れています。そして、神様とヨナのすれ違いも最後まで続きます。神様はヨナを格別に愛していました。しかし、その愛に気がつくことなく、神様が示された方向とは、反対方向へ進んでいきます。
私たちが神様とのずれが生じる時、神様の愛をどこかで疑っていないでしょうか?お祈りしましょう。
*1 ヨナ書 1章1-3節
1:1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。
1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
1:3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
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