神さまの約束の実現に向けて、、
2022年7月17日 メッセージ要約
創世記 24章1~10節 *1
アブラハムの天国への旅路もあと少しです。アブラハムは最後の大仕事にかかります。それは、イサクのお嫁さんを探すことです。これは、神様の約束です。
アブラハムがカナンの土地へ向かう際に神様がアブラハムに与えた約束です。12章1節,7節, 13章14~17節、15章5,6節,18節
17章1,2節、4~8節、18章18,19節 22章15~18節・・・
神様はアブラハムにいつも語りかけておられることがわかります。
その語りかけを要約してみます。
① アブラハムの子孫は空の星、海辺の砂のようになる。
② ①の子孫によって地のすべての国々は祝福される。
神様の2つの語りかけをアブラハムは信じました。神様はそれを
義とされます。
この神様が与えてくださった約束を実現するためには、実際の行動が必要です。アブラハムは次の行動をとりました。それは、イサクのお嫁さんは、自分の親族から迎えることです。近くのカナン人の娘ではなく、自分の親族の娘でなければなりませんでした。カナン人は異教の国であり父なる神様を信じない人々です。
そして、息子イサクはアブラハムの生まれ故郷に帰さずに、お嫁さんをこの地に連れてくることです。生まれ故郷にも異教の神がありました。(創世記31章30節)
アブラハムは神様の2つの語りかけを信じました。神様の約束は
必ず現実のものとなると。そして、そのことを実現するためにも、
アブラハムはイサクのお嫁さん選びを最重要なことであると考えました。
そして、イサクのお嫁さん捜しに選ばれたのは、自分の全財産を管理している、家の最年長のしもべでした。これは、重圧であったと思います。5節にはその緊張感が伺えます。神の約束の実現に向けて、実際の仕事を託されたしもべは神様に祈ります。
① 井戸の傍らで水を要求した時に、自分に水を汲んでくれる人
② さらに、10頭のラクダ(10節)にも水を飲ませてくれる人
10頭のラクダに水を飲ませるために何回井戸から水を汲まなければならないでしょうか?桶の大きさがどのくらいであったのか、記されてはいませんが、例えば桶5杯分なら、10頭ですから50回水を汲むことになります。しもべは親切である事、さらに、体力的にもしっかりしていること、さらに、面倒な仕事をコツコツとすることができる要素を求めたのかもしれません。
神様はすぐに、このしもべの願いをかなえます。(15節)
リベカが登場します。そして、いよいよテスト開始です。
(17~21節)リベカは見事にテストに合格しました。
さらに、リベカはアブラハムの親族の娘でした。(27節)
さらに、リベカをアブラハムの地へ連れて行くことが了承されます。
(50,51節)
しもべは見事にアブラハムの要求、神様の約束を実現するという重責を見事に果たしました。
イエス様が私たちの罪のために十字架に掛かってくださり、それが、自分のためであったことを信じることによって、永遠のいのちを与えてくださいました。(ヨハネの福音書3章16節)そのことを単純に信じるだけで、神様はそれを「義」と認めてくださいます。(ローマ人への手紙10章9,10節)
では、私たちにとって、神様の約束を実現するとはどのようなことでしょうか?
三浦綾子さんの小説「光あるうちに」にこんな一文があります。
「わたしたちにとって大切なのは、いつかは遂に死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で生きるかということであろう。来る日も来る日も、食事の支度と洗濯と掃除のくり返しでもいい。いや、そうであっていい。ただ、いかなる心持で、それをくり返すかが問題なのだ。家族が楽しく美味しく食事ができ、清潔な衣服を着て、整頓された部屋に憩い、しみじみと幸せだと思える家庭をつくる。それがどんなに大いなる仕事であるか、働きであるかを、考えて見ることが必要なのだ。
自分がこの世に存在するが故に、この世が少しでも楽しくなる、よくなるとしたら、それは大きな事ではないだろうか。」
「わたしは、まる13年療養したが、一時期つくづくと自分は廃品同様の人間だと思ったことがある。ただ臥しているだけである。食事の用意をしてもらい・・・。こんな自分が生きていてよいのかどうかと、つくづく考えずにはいられなかった。(つまりは死んだほうがいいのだ)そんな気持ちだった。そのわたしに、「生きるというのは、権利ではなく、義務ですよ」と教えてくれたのは、幼馴染のクリスチャンの前川正だった。生きるより死んだほうが楽な状態において、「生きるのは義務だ。義しい務めだ」と言われた時、わたしはハッと立ち直らせる思いだった。・・
私たちはやがて、天国に召されていきます。クリスチャンとして与えられたそれぞれの人生の約束は違います。三浦綾子さんのようなクリスチャン作家もいれば、あまり名のしられない、主婦、サラリーマン、医療関係者、学校関係者、自営業、病気療養中の方々、第1線を終えて、第2の人生を歩んでおられる方々、様々です。しかし、すべてに共通して言えることはどのような生き方であれ、「生きることは権利ではなく、義務」であるということです。
神様から与えられた人生であり、永遠のいのちが約束されている、お互いですが、私たちの人生の主権は神様にあることを再認識慕いと思います。私たちが神様から遠く離れる時、私たちは思います。こんな自分は生きているよりは死んだほうがいいのだ、と。それは、自分の人生は自分のものだと考える生き方です。しかし、私たちの人生は神様の御手の中にあります。たった1度しかない人生をどのように生きるか?これを考えることが神様の約束の実現には大切です。
アブラハムがイサクのお嫁さん探しは神様の約束の実現のために大切と考えたように、私たちも神様の約束の実現のために具体的な行動が必要です。
① 私たちに与えられている人生は神様のものであることを再認識すること
② 神様のために生きることを心がけること
③ そのために日々、みことば、祈り、奉仕に励むこと。
④ 他者のために生きること
「・・私の行動のすべての目的は、神を愛することであり、それで十分満足でした。神を愛するためなら、一本のわらを地面からひろいあげることさえ喜びでした。私は純粋に、ただ神のみを求めました。」
「ブラザーローレンス 敬虔な生涯」より
「どうか教えて下さい。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」 詩篇90篇12節
*1 創世記24章1~10節
24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。
24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。
24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。
24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
24:5 しもべは彼に言った。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」
24:6 アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。
24:7 私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、【主】は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。
24:8 もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」
24:9 それでしもべは、その手を主人であるアブラハムのももの下に入れ、このことについて彼に誓った。
24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭のらくだを取り、そして出かけた。また主人のあらゆる貴重な品々を持って行った。彼は立ってアラム・ナハライムのナホルの町へ行った。
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