福音の神髄=和解
2023年3月12日 メッセージ要約
ローマ人への手紙 5章1~11節 *1
「福音の神髄=和解」
ローマ人への手紙はパウロが当時のローマにいるクリスチャンに宛てた手紙です。この手紙は A.D.57 年に書かれたもの だといわれています。そのあとのキリスト教の歴史のみならず、世界の歴史に与えた影響ははかり知ることができません。神学、哲学の分野において大きな貢献をしたアウグスチヌス(354〜 430 年)は、この手紙の 13 章 11〜14 節によってイエス様を信じました。また、マルチン・ルターは 1 章 17 節のみことばにより「義⼈は信仰によって生きる」ということに開眼し、救いはイエス様を信じる信仰によってのみ与えられるということを再発見し、プロテスタント教会の礎を築きました。また、18 世紀英国を救ったといわれるジョン・ウェスレーは、ある集会で、ルターの書いたローマ書の序文が読まれているとき、心燃やされる経験をして生まれ変わりました。そのことによって英国に新しい霊的ないのちが注がれてリバイバルが起りました。
この手紙は聖書全体が映し出されていると言っても過言ではありません。救いとは何かという大切な、 根本的な事柄が記されています。
また、「きよめ」とは何かの神髄も記されています。7章~8章にかけて、自分に死に神に生きることがきよめの神髄であります。それをパウロの経験を通して記されています。
今朝は5章から「神との和解」に焦点をあてます。旧約の時代、人は律法を守ることによって神様との和解を得ようとしました。しかし、人は律法を守り通すことはできずに、多くの困難を経験する結果になります。そして、パウロは大きな声で言います「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」と。ローマ4:25
人が救われるのは、十字架を偲ばれ、復活されたイエス様を信じる信仰によると。つまり、律法を守ることではなく、信じることによって義とされます。
皆さん、ご夫妻で、ご家族の中で、あるいは、友人、知人、・・
喧嘩をすることがあると思います。その時、自ら「ごめんなさい」ということはとても難しいことです。これは、意識して訓練をしていないと、たった一言の「ごめんなさい」は出てきません。
人は創世記3章で神様と喧嘩をしてしまいました。喧嘩といっても一方的に人が悪いのですが・・神様との信頼を損ねてしまいました。
けれども十字架を通して、神様の方から私たちに「仲直りしよう」と手を差し伸べてくださいました。一度、信頼を失うと信頼を回復するためにその何十倍もエネルギーを要することを私たちは知っています。
しかし、イエス様の方から信頼を裏切った私たちに手を差し出してくださいました。
これからの時代を生きて行く人たちは本当に大変だと思います。学校、社会の中で基本的な信頼関係をつくることが難しい時代です。学校の先生をどうやって信頼すればよいでしょうか?あるいは、昨日まで笑ってくれていた友人が今日は口もきいてくれない・・。難しい時代です。私たちは子どもたち、若い人たちのために祈らないといけません。
イエス様は、十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46 イエス様は完全に捨てられました。歴史史上最も、悲しいことばです。それは、私たちのためでありました。イエス様は信頼から離れいく苦しみをご存知です。
ローマ5:10には「御子の死によって神と和解させていただいた・・」とあります。まさしく、「させていただいた」です。神様の方から、手を差し伸べてくださいました。その手には十字架の釘の痕があります。私たちはその手を受け取るだけです。
何も悪くない神様がわたしたちに「さあ、仲よくしよう。もう、すっかり忘れよう」と声をかけてくださいました。「もう、悩む必要はない。」と。これ以上の恵みはこの世にはありません。
それゆえに、5章の1~5節があります。苦難が忍耐を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと。さらにこの希望は失望に終わることがありません。失望に終わらない希望・・この世にこんなに素晴らしい希望があるでしょうか?たとえ、人に裏切られることがあったとしても・・失望に終わらない希望が・・どんなに人に裏切られても、消えない希望の灯が私たちの心に灯っています。
福音の神髄は神様との和解です。そして、その和解はイエス様の十字架の贖いによります。イエス様に心いっぱいに感謝をお捧げして、受難節を送りましょう。
*1 ローマ人への手紙 5章1~11節
5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
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